南部編第13話 南部長経と秋田安東氏との戦い

  • 2013.12.12 Thursday
  • 10:57
 青森県八戸市の松舘に大慈寺というお寺があります。この寺は、秋田県鹿角市の萬松寺の宝山正弥(ほうざんしょうちん)和尚が開山したと伝えられています。三戸南部13代当主・南部守行が、湊系安藤氏の初代当主・安藤庶季(のちの安東氏、庶季は系図により鹿季と表記されることもあります)との間で領土争いをした際、守行に敵情を知らせた和尚に報いて、建立したといわれています。
松舘大慈寺山門
※大慈寺(松舘)山門
 この南部・安東の領土争いに関して、安東氏側の史料はなにも残っていないようです。そこで、南部側の史料から、大慈寺開山に至る経緯をひも解いてみましょう。
 時は応永17年(1410年)にさかのぼります。南部守行は、根城南部の南部長経(なんぶながつね)を三戸の城へ招き、協力を要請します。その要請とは、南部の領土を度々侵略してくる秋田への出陣に関するものでした。守行と長経の間で取り決められたことは2つ。1つは、守行出陣後の領内の警備を長経が行うこと。もう一つは、長経の弟、光経が戦の先陣をつとめることでした。
山門の看板
※山門のそばには歴史が記述された看板があります
 光経は秋田に出兵しますが、秋田勢に予期され、一時退避を余儀なくされます。光経は、この状況を打開するために、月山(がっさん)の神へ戦勝を祈願することにします。陣中に祭壇を設け、七日七晩祈願しました。そして、七日目の夜、祈願をこめている光経と、三人の家臣、三上・橘・西沢が同じ夢を見ます。
 その夢とはこういうものです。
 光経の陣の上を2羽の白鳥が飛んでいきます。そして、鶴がその姿を消した彼方から、九つの星が光経のお膳に落ちます。光経はその星をとり、懐に入れようとする、というものでした。
 この夢を吉兆ととらえた光経勢の士気は高まります。そして出陣の前に、実際に二羽の鶴が月山のほうに飛んでいくのを見て、さらに士気は高まり、秋田軍に攻め込もうとします。
 そこに現れた僧が、のちに大慈寺を開山する宝山正弥和尚です。和尚は、光経にこう進言します。
「秋田軍は、要所に伏兵を忍ばせている」
 これを聞いた光経は、作戦を変更、無事秋田軍を攻略することができました。
 長経と光経は、この宝山正弥生和尚の功労に報いるため、一寺を建立し和尚に寄進することにしました。それが、松舘にある大慈寺になります。

※山門には、見事な装飾が施されています
 これが、南部側史料によった物語になるのですが、秋田軍の南部侵攻に対しては、別の説もあります。南部の秋田侵攻のほうが、南部侵攻に先んじて行われていた。つまり、秋田軍が侵攻した土地は、本来は秋田軍のものだったのではないか、という説です。
 歴史は、勝者によって語られるものですが、より事実に近づくためには、秋田側の史料の発見が待たれるところです。
 
アラン・スミシー
参考文献
みちのく南部八百年 天の巻 p155~p177(伊吉書院)
津軽秋田 安東一族(新人物往来社)
秋田「安東氏」研究ノート(無明舎出版)
八戸根城と南部家文書p273(八戸市)
コラム 南部長経と秋田安東氏の戦い