南部編コラム9話 後醍醐天皇の奥州統治と南部師行

  • 2013.07.11 Thursday
  • 11:15

 足利高氏、新田義貞の活躍もあって、天皇親政を勝ち取った後醍醐天皇でしたが、結局、足利尊氏(鎌倉幕府倒幕後、高氏から尊氏に改名)と対立することになります。
 尊氏は後醍醐天皇を比叡山まで追い詰めたのち、和睦を要求。後醍醐天皇は、それに応じて三種の神器を光明天皇に渡します。そして、光明天皇は、京都で朝廷(北朝)を開きます。 
 
ここで後醍醐天皇は諦めると思いきや、幽閉されていた花山院を脱出し、吉野に逃れ、そこで独自の朝廷(南朝)を開きます。
 
この南朝も、北朝に制圧され、後醍醐天皇自身も吉野で病に罹り、病死します。 しかし、それでも終わりません。
 
臨終の場面を『太平記』では、こう記されています。 
 

五骨はたとひ南山の苔にうづまるとも、魂魄は常に北闕の天(京都)を望まんと思ふ


 その言葉通り、後醍醐天皇は死後、怨霊となり足利尊氏を悩ませ続けたといわれています。恐れるべきは、後醍醐天皇の執念です。

                             
アラン・スミシー

参考文献
青森県史 資料編 中世1
みちのく南部八百年 天の巻
後醍醐天皇
後醍醐天皇のすべて