コラム第33話 津軽の牧場 〜弘前藩の産業〜

  • 2013.06.30 Sunday
  • 18:54


弘前藩の産業振興は、3代藩主・津軽信義、4代藩主・津軽信政の頃に盛んになりました。
内容は主に、良馬の生産、鉱山の開発、津軽新田の開発、津軽塗の確立でした。

1.良馬の生産
青森港開港(寛永元年、1624年)にあたり、博労町の博労達に外ヶ浜一帯での津軽
領産の馬の売買の特権を与えていました。
藩では雲谷(寛永8年、1631年)、津軽坂(現鶴ヶ坂、寛永15年、1638年)、枯木平、
滝の沢、入内の5カ所の牧場(津軽五牧)を開き良馬を産出。特に津軽領産の馬は有力
大名等への献上品になるほどの優良馬を生産していました。領内には数カ所の馬市も
開かれていました。

2.鉱山の開発
河原沢金山、虹貝金山、寒沢銀山、八光沢銀山、尾太(おっぷ)鉱山を開発し、中で
も尾太鉱山は17世紀後半は銀山、18世紀前半は銅・鉛鉱山として最盛期を迎え、2300人
から2400人もの作業員が働いていました。

3.津軽新田の開発
地名に「○○新田」と呼ばれた土地がたくさんあり、それらの地域はすべて新田開発
を行った地域といわれています。木造新田もその一つです。特に現在のつがる市一帯は
新田開発のために屏風山に防風林を植林し開発に努めた地域です。
このほか、水害の元凶とされた十三湖の水戸口の付け替えなどの治水事業を行い、多
くの新田が開かれ、弘前藩の表高は4万7千石であったのに対し、3代信義の頃には実高
10万石、4代信政の頃には30万石にも達したといわれています。

4.津軽塗の確立
若狭国小浜(現 福井県小浜市)から塗師・池田源兵衛を招き、小浜で主であった霜降
    塗、虫食塗、七子塗の技法が伝えられ、津軽塗もそれらを受け継ぎ現代まで代表的な技法
    として伝えられています。

このほか、果実・香辛料・薬用人参・漆・桑・楮・茶の栽培、製紙業にも力を入れていたとさ
れています。
弘前市内の城下町であった地域には、職業や製品の材料に由来する地名(大工町、鍛治町、
鷹匠町、茶畑町、楮町等)がたくさん残されています。


 出典:青森県漆器協同組合連合会ホームページ、中泊町ホームページ、津軽三十三寺巡り 

 

 

  -haru-