第33話 津軽藩の牧場 〜津軽藩の外交を支えた「津軽五牧」〜

  • 2013.08.30 Friday
  • 12:30

※津軽雲谷牧場址の碑


 青森市鶴ヶ坂、奥羽本線沿いに保食神社があります。弘前藩が良馬産出のため開いた 牧場「津軽五牧」の一つ「津軽坂の牧場」があった場所です。
 寛永15年(1638年)、弘前藩3代藩主・津軽信義は家臣に命じ、南部藩領倉内村(現上北郡六ヶ所村倉内)から探 させた牧司・倉内図書に津軽坂に牧場を造らせ、牧頭としてその経営にあたらせました。(青森県史資料編近世1近世北奥の成立と北方世界P370青森県)
 その際、村に馬頭観音を祀った「惣染堂」を建立し、馬の守護神としたのが始まりとされて います。


※雲谷にある茶屋


 寛文11年(1671年)、弘前藩3代藩主・津軽信義に良馬1頭を献上したことから、絵や書が得 意であった信義のの御染書(※1)が奉納され、御神体として祀られるようになりました。
 その後、「惣染宮」と改名され、、歴代藩主が崇拝する宮として、毎年、明治2年(1869年) まで、祭事費として金1両2分を与えられていました。(青森市史第十巻社寺編P257〜P258青森市)
 津軽坂の牧場は南部五枚の一つに数えられ、馬の改良・繁殖・調教等にあたってました。  明治4年(1871年)惣染宮が一時廃止されますが保食神社と名前を変え、現在に至っていると のことです。 
 津軽坂の牧場の規模は東西二里、南北三里、下付された馬の数は牝馬15頭、牡馬1頭でした。(保食神社境内由緒書)
 津軽坂の他は雲谷・滝の沢・入内・枯木平に開かれていたとされ、現在は雲谷にかつて 弘前藩の牧場があったことを示す石碑が建てられています。
 雲谷の牧場は寛永8年(1631年)、弘前藩の命により、川越源右衛門を牧頭とし、献上馬・ 進上馬などの名馬養育のため開かせたと牧場跡の石碑に記されています。
(石碑「靄の牧場について」)
 この石碑から十和田湖方面へ進むと萱野高原の茶屋が見えてきます。ここのお茶は飲むと 長生きするといわれている有名なお茶です。


※雲谷にいく道


 このお茶は川越源右衛門が雲谷の牧場で働かせている牧夫の健康維持のために、畑で採れ た雑穀と山で採れたきのこ等を配合し、焙じて飲ませたのが起源とされているそうです。(長生きの茶由来 川越観光有限会社)
 2軒ある茶屋のうちの1軒は川越源右衛門の子孫が経営している茶屋だそうです。  牧場は天保年間に藩の財政事情のため閉鎖されてしまいましたが、津軽領産の馬は鷹とと もに藩祖・津軽為信の時代から関白をはじめ、有力諸大名への献上品として珍重されており、 優良馬を産出していた「津軽五牧」は弘前藩外交において重要な役割を果たしていたといえ るのです。

※1 染書  布に筆などを用いて、染料で描く技法。

出典:青森県史資料編近世1近世北奥の成立と北方世界(青森県)、青森市史第十巻社寺編(青森市)、保食神社境内由緒書、石碑「靄の牧場について」、長生きの茶由来(川越観光有限会社)

コラム 弘前藩の産業

-haru-