南部編第30話  日本有数の良馬、南部馬を産出

  • 2013.12.30 Monday
  • 17:21
 

※唐馬の碑がある神社

 南部地方は古来より馬産地として、全国的にも有名です。古くは平安時代に後撰和歌集になど詠まれた尾駮の牧(六ケ所村)や、宇治川の戦い(1184年)で先陣を争った名馬、磨墨(するすみ)と池月(いけづき)は三戸産と七戸産であったともいわれています。一の谷の戦い(1184年)で源義経と崖を駆け下りたという青海波(せいかいは)という馬も三戸産だったともいわれています。(青森県史 資料編 古代1文献資料 P608青森県、三戸町史 上巻P44三戸町)


※唐馬の碑説明版

 南部藩では南部九牧(なんぶくまき)と呼ばれる「野」を九つにわけた藩営牧場を開き、馬産に積極的に取り組みます。とりわけ南部氏の本拠、三戸近郊にある住野野(すみやの)(名久井岳西側中腹から南部町大向・三戸町泉山の一帯)では、永保年間(1504−1521年)の「永保五年馬焼印図」により、古くから馬産が行われていたことが確認できます。牧場には、総牧場管理者として御野馬別当、各牧場の管理者として御野守が置かれます。そのほかに御馬医、御馬責(調教師)などの馬肝入(世話人)が置かれ、手厚く管理されていたことがわかります。(図説 三戸・八戸の歴史 青森県の歴史シリーズP114株式会社郷土出版社)


※道の駅七戸博物館内


 三戸町の馬暦神社境内にひっそりと、唐馬の碑(からうまのひ)が建っています。唐馬の碑は、外国産馬に関しての貴重な資料として県の文化財にも指定されています。享保10年(1725年)、八代将軍・徳川吉宗にオランダ人が献上したペルシャ産の馬「春砂(はるしゃ)」が、南部藩に下賜されました。藩は春砂を住谷野で放牧し、馬の体格を大型化するための種馬として改良を図るも、9歳で亡くなってしまいました。関係者はこれを偲び、三葉の松を植え墓印としましたが、その松の枝がすべて西に向かって伸びたので、馬が母国を慕っているのだと言い、人々は馬の神として崇めるようになります。このため、寛保3年(1743年)、元野馬別当の石井玉葉が唐馬「春砂」の追善のための碑を建立し、馬暦神社の起源ともなっています。(三戸町史 中巻P106〜107三戸町)


※道の駅七戸 馬の像


 牧場の経営管理には、沢山の農民の力が必要不可欠でした。道の駅しちのへにある絵馬館では、見町観音堂と小田子不動堂に奉納された絵馬を見ることができます。絵馬とは、当時の人々の祈りや願いが込められて奉納された、絵が描かれた木の板のことです。この小絵馬は全国的に見ても旧南部藩の寺社でしか見られず、南部小絵馬と呼ばれています。これらの絵馬は、南部地方の庶民信仰を知るうえで質、量ともに優れていたため、重要有形民俗文化財に指定されています。馬に対する愛着は信仰と結びつき、格調高い絵馬が残されています。馬と共に生活してきた農民の良馬産出祈願を目的とした人々の馬を尊ぶ心が窺えます。(絵馬館提供資料 絵馬館観賞用のヒント)

出典 青森県史 資料編 近世4 P394〜396(青森県)
   三戸町史 上巻P43〜45(三戸町)
   図説 三戸・八戸の歴史 青森県の歴史シリーズP114〜115(株式会社郷土出版社)
芳賀