第8話 為信の出自 〜為信出生の謎〜

  • 2013.08.19 Monday
  • 10:15
※青森県弘前市革秀寺内
  
為信の軍配にかかれた文字、「不制于天地人」(てんちじんにせいせられず)は為信の生涯の人生観でした。誰にも屈せず、自分の信念を貫き通す。という意味です。およそ460年前の天文19年(1550年)、為信は誕生しました。鬚殿(ひげどの)と呼ばれ、身長182cm程で頑健な体格と大きな顔。勇敢で優れた決断力を持つ人物だったようです。為信は、のちの弘前初代藩主として、いかなる敵をも恐れない信念を体得し、津軽統一を行っていきます。
為信の出生には謎が多く、弘前藩と南部藩では見解が異なります。武田守信の子供とも、南部氏族の久慈治義(はるよし)の子供ともされています。
※革秀寺本堂

それぞれの大義名分のために都合の良く書かれた記述は、現在でもどちらが正しいのか、はっきりとはわかっていません。
弘前市藤代に位置する、革秀寺。慶長3年(1598年)、長勝寺(ちょうしょうじ)8世住職、格翁舜逸(かくおうしゅいつ)の隠居所として藤崎町に創建されました。その後慶長12年(1607年)、為信の死後、革秀寺はこの地に移されます。為信はこの舜逸から普化鈴鈬(ふけれいたく)の禅を学びます。普化鈴鈬とは、中国の僧、普化和尚の故事です。死を恐れず、常に棺桶を背負ったつもりの心境を指します。革秀寺にある位牌に掛けられている鈴は、為信が体得した普化鈴鈬の鈴といわれています。為信が津軽を制したこの信念は、格翁舜逸と為信の二人の問答から育まれたのです。為信を育てた舜逸は、長勝寺を退くこととなります。
※革秀寺にあるハスの花

「不制于天地人」(てんちじんにせいせられず)という言葉は、舜逸の禅問答に対する解答でした。いかなる敵をも恐れない信念を体得した為信。出生の謎は残りますが、このような記述から、少なくともどのような人物だったのか、知ることができるのではないでしょうか。(つがるの夜明けP167〜170)

出典 新青森市史 資料編2 古代・中世 P461(青森市)
   新編 弘前市史 資料編1〜2 古代・中世編P306(弘前市市長公室企画課)
   つがるの夜明けP167〜170(陸奥新報社)
(メガネ)

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