南部編コラム32話 南部領の飢饉と開墾

  • 2013.07.30 Tuesday
  • 16:10

 天保の飢饉で苦しむ八戸領の百姓たちの間で、ある噂が広がりました。それは、「老中野村軍記が、百姓への食糧の配給を行おうとしている。そして、配給量は、一人一日玄稗三合である」というものでした。
 野村軍記は、八戸領の財政難を立て直した人物です。軍記は、八戸領の物産を直接管理する専売制度を行ったり、有力商家の取りつぶしを行ったりと、強権的な姿勢で八戸領の財政を立て直しました。
 軍記のその剛腕は「良くても、悪くても、軍記様」と、八戸地方の人々に言われるほどで、財政は立て直したものの、多くの反感もかっていたようです。
 その軍記が食糧の在庫所有調査をしたので、農民たちは、食糧を強制的に買い上げられ、配給制度に変更されると噂し始めました。軍記ならやりかねない、と思われていたようです。
 軍記にそのつもりはなかったようですが、八戸領の重役たちは、本人が釈明しても事態が拡大する可能性がある。それよりも軍記に責任を負わせることで、鎮静化を図ろうと考えました。そのため、軍記は、自分の屋敷から出ることも許されませんでした。
 その軍記に対して、百姓たちが蜂起します。天保百姓騒動です。百姓たちは、その数を増やしながら、八戸の城下町の入口まで押し寄せます。その数は、五千人以上になったといわれています。
 八戸領は事態を鎮静化するため、百姓たちの要求を受け入れました。
 そして軍記は、百姓一揆の責任を問われ、老中の職を失い、親類へのお預け謹慎を命ぜられました。そして、そこで軍記は病没します。
 野村軍記は、八戸領の汚れ仕事を全うし、最後には八戸領に見捨てられたといえるかもしれません。
 
アラン・スミシー
参考文献
みちのく南部八百年 地の巻