南部編コラム29話 古代の鉱業

  • 2013.07.30 Tuesday
  • 13:10

日本民族の金属鉱業に関する歴史はかなり古く、九州北部の弥生式古墳の中には、銅剣や鉄剣などが発見されています。
7世紀には諸鉱物が、その産地を明示して具体的に表れてきます。天武天皇が白鳳3年(674)に長崎県で産銀したのが始まりです。
慶雲5年(708)に元明天皇が埼玉県秩父市から、和銅を産出します。和銅とは自然銅のことです。
尾去沢鉱山の発見も708年とされていますが、当時の国守の勢力は、表日本(太平洋側)では今の宮城県、裏日本(日本海側)では山形県で止まっており、この伝説は今のところ信頼し難いそうです。
古代から中世にかけての主要な金産地は陸奥国でした。天平21年(749)今の宮城県涌谷町(わくやちょう)から初めて砂金の産出があり、鉱業は東北地方で開始されました。
涌谷の産金以後、多賀城以北の租税に金が選ばれたので、金の探求は一層盛んになり、延暦16年(797)以降、坂上田村麻呂の遠征の際も北上山地で金を治めた口碑が各地で残っています。
青森県にも鉱山はたくさんあり、弘前藩最大の鉱山と呼ばれたのが、青森県中津軽郡西目屋村にある尾太鉱山です。17世紀後半には銀山として、18世紀前半には銅鉛山として最盛期を迎えました。当時は鉱山の総人数として、2300人、2400人ほどでした。
明治以降は、操業と休山を繰り返し、1952年に操業を再開し、近代設備による採鉱で一時この一帯は好景気に沸きました。弘前で1万円札を持っているのは尾太鉱山関係者だけと言われたこともあったそうです。
昔から金はかなりの価値があり、これからも高級な貴金属として扱われていくことでしょう。


参考文献 鉱山と鉱山集落
(メガネ)