南部編コラム30話 馬産地・七戸町

  • 2013.07.30 Tuesday
  • 14:20


青森県七戸町は、室町時代まで糠部(ぬかのぶ)とよばれ、名馬の産地として有名です。糠部という地域は、現在の岩手県北部から下北半島および津軽の平内地方を含む青森県東半部を指します。糠部という地名は、吾妻鏡(日本の古い歴史書)の文治5年(1189年)9月17日条に、平泉藤原氏2代目・基衡が毛越寺建立にあたり、本尊造立の際、「糠部駿馬五十疋」を功物として仏師雲慶に与えたと記述され、古くから名馬の産地であったことが窺えます。

糠部には、九ヶの部四門の制(くかのぶしかどのせい)がしかれていました。この制度とは、東西南北の4つの門(かど)と、一から九までの戸(へ)に分けられ、それを一戸・二戸・三戸・四戸・五戸・六戸・七戸・八戸・九戸とし、余った四方の辺地を東門・西門・南門・北門と呼んだといわれています。一つの戸に一牧場を設け、牧士を配置したそうです。一方、東門が八戸・九戸、西門が三戸・四戸・五戸、南門が一戸・二戸、北門が六戸・七戸を指すという説もあります。

「戸」とは牧場の意味であるともされています。馬牧・駿馬の産地として知られていた糖部の公田に課された年貢は馬で納められていたそうです。七戸町では、南部曲屋(なんぶまがりや)と呼ばれる人の住む母屋と馬の厩が「く」の字につながった建築様式を見ることができます。曲屋は馬の管理面で多くの利点があったと考えられていますが、なによりも馬に対する深い愛情があったからではないかといわれています。近代でも曲屋の伝統は受け継がれ、南部曲屋育成厩舎からは有名な競走馬の育成もされてきたそうです。

七戸町にある道の駅では、曲屋で育った二頭の馬の銅像が建っています。1957年に初のダービー馬となったヒカルメイジ、1962年にダービーを制したフエアーウインです。古代から近代まで馬を神聖な生き物として敬ってきた人々の気持ちが、馬産地として有名な七戸を築き上げたのではないでしょうか。

参考文献:七戸町史2
図説 三戸・八戸の歴史 青森県の歴史シリーズ
 
芳賀