南部編コラム35話 斗南藩の由来

  • 2013.07.31 Wednesday
  • 23:20

斗南の名の由来についてはいろいろな説があり、中国の詩文の中にある「北斗以南皆帝州」から出た説が一応定説となっています。会津藩士達は、会津の地は失っても、「本州最果ての地もまた大君(天皇)の領地である。我々は朝敵でもなければ賊軍でもない。ともに北斗七星を仰ぐ帝州の民である」という感情の高まりを見せたとも考えられています。
もう一説は、天文学を学んでいる人が多く、憎き新政府に邪念の炎を燃やし、斗南を「南斗六星」に結びつけたとのではないかという説もあります。これは北斗七星に対してつけられた呼称であり、射手座の中央部を指します。この星座をよく見ると 射手が、永久に放たれることのない矢を隣の蠍座に向けているように考えられます。つまり蠍座は憎き薩摩藩閥政府であり、射手座は薩長に対して憎しみの矢を向けている会津人の姿と重なり合うといえます。
また表向きは「本州最果ての地もまた大君(天皇)の領地である。」という姿勢を示したとしても、心の奥底には、いつの日か“南瓠△弔泙蟶討啣馗鼎涼呂防颪ぬ瓩蝓∪菫賃紂垢領遒魘〕椶掘∧蠱だ鑠彈圓領邵欧魄屬瓠藩の繁栄を願って「斗南」と号したといわれています。
サト
出典:会津・斗南藩史