南部編コラム31話 田中館愛橘(たなかだてあいきつ)

  • 2013.07.30 Tuesday
  • 15:30

岩手県二戸市はローマ字の普及に努めたことで有名な田中館愛橘の出身地です。田中館愛橘は物理学者、航空物理学などで幅広い業績を残し、東京大学名誉教授となったことでも知られています。日本式のローマ字、メートル法の普及にも功績を残し、市内にはローマ字の書を刻んだ石碑が多数残されています。数々の賞や文化勲章を授けられ功績を残してきた愛橘ですが、人間的にも素晴らしいエピソードが残されています。

安政3年(1856年)、愛橘は岩手県二戸市の南部藩史の家に生まれ、武士の子として育てられます。相馬大作の愛弟子・下斗米軍七から武芸を学んだそうです。幼いころから厳しく育てられた愛橘は、今これをやらねば殺される、という覚悟で勉学に励んだそうです。その努力が実り、愛橘は英語、フランス語も流暢に話せたにも関わらず、二戸弁だけは生涯抜けることはなかったそうです。また愛橘は忘れ物の名人だったことでも有名です。外出をすれば、帽子を忘れ、傘を忘れる。時には人の飲んでいるコーヒーに口を付けてしまったりもしたそうです。しかし仕事や大事なことは忘れることがなかったそうです。

明治11年(1878年)、愛橘が東京大学物理部を専攻するにあたり、当時は「そんなものでは飯が食えない。一体君は何で飯を食う気だ?」という人もいたそうです。愛橘は、「箸と茶碗で飯を食う気だ。」とすまして答えたそうです。明治27年(1894年)愛橘は38歳で結婚しますが、娘が生まれてまもなく、妻のキヨ子が亡くなります。結婚からわずか1年あまりのことです。その後、愛橘は再婚することなく、娘を育て上げます。公務で渡航し、帰国すると必ず娘を連れて妻の墓前へ伴ったそうです。

また愛橘は音楽と和歌もこよなく愛したそうです。当時は物珍しい西洋のフルートを吹き、新しい西洋の音楽でも身をもって伝えようとしたそうです。しかし、愛橘の本当に愛した歌は、郷土・二戸の呑香稲荷神社の神楽歌だったそうです。昭和22年(1947年)、愛橘91歳の時に詠んだ春の歌があります。「ただひとり 雨さへおひて 古の 白鳥川に にほふ梅はも」白鳥川は馬淵川に合流する小さな川ですが、合流点のすぐ近くに岩をくりぬいて作られた岩谷観音という観音様があります。近くには九戸政実も愛したという六弁の梅の木もあります。現在もこの周辺では梅の木が見られ、春には美しい花を咲させるそうです。

サムライの時代から近代化へ向けた激動の時代に生まれ活躍した田中館愛橘。この二戸の地からは武士の精神を引き継いだ文武両道の人物が輩出されています。日本の近代化を科学者として支え、発展、独立に寄与したその足跡は、田中館愛橘記念科学館や二戸歴史民俗資料館で見ることができます。

参考文献:田中館愛橘先生
 
芳賀