南部編第17話 田子城主・南部信直南部氏当主となる

  • 2013.12.18 Wednesday
  • 09:39
 

※田子館ジオラマ

 青森県田子町(たっこまち)。町の中心街を望む高台に町立田子中学校があります。その場所に、かつて田子城があり、南部氏第26代当主・南部信直(のぶなお)の居城として知られています。築城時期は不明ですが、三戸南部氏が糠部郡(ぬかのぶぐん)に入部した際に家臣となった在地勢力の佐々木氏が築城したとされています。


※田子中学校
 田子城は、人工的に作られた堀によって牛尾館(うしおたて)と佐々木館(ささきたて)の二つの郭からなり、北からは自然の堀である田子川、南は斜面が急で険しい丘で守られた要害です。さらに牛尾館は堀によって二つに分けられ、本丸に相当する大館と小館に分けられています。天正期、牛尾館には信直が、佐々木館には佐々木惣左衛門(そうざえもん)が居住していたとされています。牛尾館は三戸南部家二十代当主・信時が隠居所としてから、津軽郡代となった南部光康(みつやす)、石川城主となった南部高信(たかのぶ)、二六代当主となった南部信直が居館としていました。二七代当主となった南部利直(としなお)はこの館で生まれました。

※南部信直の居城跡
 現在、中学校の敷地になっている牛尾舘は、大館と小館に二つに分ける谷は埋められてグランドとなり、城跡はほとんど造成によって破壊されています。わずかに牛尾館と佐々木館の間の堀跡が残っているのみです。詳しい廃城時期は不明ですが、南部信直が南部宗家の家督を継承して三戸城へ移った頃といわれています。(「田子町誌 上巻」P337〜P344 田子町)

※田子館地図
 信直は田子城主・南部高信の長男として生まれ、なかなか世継ぎに恵まれなかった南部宗家である三戸南部氏二四代晴政(はるまさ)の養子となります。永禄十一年(一五六八年)信直が二十三歳の時、秋田愛季(ちかすえ)との鹿角合戦に世継ぎとして出陣し活動を始めますが、何年かのちに晴政に世継ぎの男子・晴継(はるつぐ)が生まれ、我子に家督を譲りたいと思い始めたため、信直が邪魔になり、暗殺を企てるようになりました。身の危険を感じた信直は、後継者を辞退しましたが、それでも外出の際には晴政の家臣に度々襲われ、剣吉城主・北信愛(きたのぶちか)や八戸根城の八戸政栄(まさよし)などのところに身を隠したりするほどでした。南部町誌によると、晴政亡き後、当時十三歳の晴継が二十五代当主に就きますが、先君・晴政の葬儀の際、喪主を務めた晴継は菩提寺・三光庵から帰る途中、何者かに暗殺されてしまい、宗家三戸南部氏が不在の事態となりました。(「南部町誌 上」P413〜P414 南部町)一族の会議で跡継ぎは改めて田子城主となっていた信直と決まりましたが、これを不服とした有力一族九戸政実(まさざね)が信直と対立し、一族を二分する内乱となります。さらには、当時の関白・豊臣秀吉と日本中の大名を巻き込んだ「九戸政実の乱」へと発展していくのです。                                                                                       (サト)

出典 「三戸町通史」P72三戸町