南部編コラム23話 関ヶ原の戦い・上杉包囲戦と南部領

  • 2013.07.24 Wednesday
  • 09:15

 少し盛岡城について触れてみましょう。
 ブログでも少し書きましたが、南部領と伊達藩は、同じ徳川家康側である東軍側でしたが、互いに対立していました。
 伊達政宗は隣接藩の不満分子を教唆し、自らがその鎮圧を行うことで、領土拡大を謀るなど、非常に野心的で権謀術数に長けた武将でした。そして、その手が南部領にも及んでいました。
 そこで、伊達政宗をけん制するために、南部利直の父南部信直が、新しい政治の拠点を三戸から盛岡に移すことを決意したといわれています。
  盛岡城の建設時期は確定していないようです。慶長3年(1598年)南部信直が参加した醍醐観桜の宴で盛岡城築城の話題がのぼっているそうで、それを築城開始の年とする説もあります。工事は、周囲に湿地や沼地も多く水害も度々起こったため、信直の時代には完成せず、孫である南部重直の誕生の翌年寛永10年(1633年)に完成したといわれています。
 重直の代で完成させた南部藩の新しい政治の拠点である盛岡城は、大阪城をモデルにして建造されました。
 盛岡城は、一度、本丸を焼失していますが、廃藩置県により廃城するまで、盛岡藩の藩庁としての役割を果たし、幕藩政治の終焉とともに、その幕を閉じることとなりました。
アラン・スミシー
参考文献
青森県史 資料編 近世1
みちのく南部八百年
シリーズ藩物語 盛岡藩