南部編第29話 盛岡藩最大の銅山 〜尾去沢鉱山〜

  • 2013.12.29 Sunday
  • 10:53
 
※秋田県尾去沢鉱山

 秋田県鹿角市、ここには日本最大規模の鉱山と呼ばれる尾去沢鉱山があります。尾去沢鉱山の歴史は非常に古く、最初の発見は奈良時代、708年だったと伝えられています。
 天正18年(1590年)、豊臣秀吉が奥州仕置を行い、尾去沢鉱山が盛岡南部氏の所領となりました。尾去沢鉱山は南部藩の金山奉行が金、銀、銅、鉱石などを大量に発見し、繁栄していきました。しかし、鉱業の開発が進むにつれて鉱山の排水の問題が起こり、1624年から1643年頃から、金・銀の産出が急速に減少しました。その代わり、銅の産出が次第に発展していき、1688年から1704年の元禄年間が最高頂に達しました。以来、南部藩の経営から、明治、大正、昭和を経て、非鉄金鉱山の代表的鉱山として日本の産業振興に大きく貢献していきました。  
※尾去沢鉱山模型図

 これまでに掘さくされた坑道の総延長は約700kmにも及んでおり、青森から東京までの距離に匹敵しています。 尾去沢鉱山で採れた銅鉱石は山元で粗錬され、南部藩の粗銅となり、牛を使い陸路で青森県、野辺地町の野辺地港に集積された後、幕府の雇船によって大阪へ廻送されていました。大阪への銅の輸送は、野辺地港が南部藩有数の商港として発展する大きな要因となったのです。 なぜ大阪に廻船する必要があったのか。それは銅を精錬できる業者が各地から大阪に銅を集め、大坂銅吹屋(おおさかどうふきや)で粗銅に混じっている少量の銀を取り出し精銅に加工する為であり、銅貿易商もほとんどが大阪にしかいなかったからです。    
※尾去沢鉱山坑道内

 野辺地港は盛岡藩の日本海航路への窓口として、賑わっていました。野辺地港には常夜燈がありあります。
常夜燈はかつて、毎年3月から10月まで夜ごと灯がともされ、航海の安全を守る灯明台として、野辺地湊を見守ってきました。 夜間は魚油、菜種油を燃料とし、毎夜目印の灯火を照らしていました。施主は、野辺地の廻船問屋野村治三郎、運送にあたった世話人は関西の船主橘屋吉五郎です。野村治三郎は廻船業で財をなした一族です。竿石の正面には「常夜燈」、背には「金毘羅大権現」、側面にはそれぞれ「文政十丁亥歳」「正月吉良日」と刻まれています。現存する石の常夜燈の中では日本最古とされ町指定文化財となっています。現在は常夜燈の役目は果たしていませんが、毎年冬になると「常夜燈まつり」が開催され、祭りの主役となり、風物詩となっています。    
※青森県野辺地町常夜燈

 尾去沢鉱山は昭和53年(1978年)に鉱量の枯渇により閉山となりました。しかし、昭和57年(1982年)には観光坑道として生まれ変わり、平成19年(2007年)には近代化産業遺産に認定され、今に至っています。現在は砂金採りや天然石堀りの体験ができ、鉱石がここに確かにあったことを伝えています。


出典 野辺地つれづれノート P75〜88(萌出忠男)
   野辺地町史 通説編 第1巻P256〜268、P343~345、P707~708(野辺地町)
 
(メガネ)