第6話 青森県全域を南部氏が治める 〜南部氏津軽統一100年間〜

  • 2013.08.18 Sunday
  • 10:10
※青森県十三湖付近にある福島城跡
 青森県津軽半島北西部、日本海岸に十三湖があります。鎌倉時代末期から南北朝時代を通し、安東水軍を率い、海外交易で栄華を極めた豪族安藤氏の拠点でもあります。
 室町時代、応永年間半ばの頃、津軽地方は、十三湊の安藤氏・三戸の南部氏が支配しており、両氏は津軽地方全土の覇権をかけて激しく対立していました。
 応永25年(1418年)三戸南部氏13代当主・守行は安東氏の居城である平賀の大光寺城(だいこうじじょう)を攻撃し、陥落させました。さらに藤崎城をも攻略し、津軽平野の中枢部は南部氏の支配に属しました。(みちのく南部八百年 天の巻P180伊吉書院)
 攻撃の手は緩まず、十三湊を手に入れようと守行の子・義政(よしまさ)は、盛季の居城である市浦の福島城を、たびたび攻撃しました。 しかし、容易には成功を見なかったため、盛季の娘を妻にして和睦を結び、機会を伺っていました。
 そして、義政は永享4年(1432年)娘婿として盛季に対面を申し出、十三湊へ赴き、警戒する様子がないとみると、急に福島城を攻撃したといいます。(新青森市史 資料編2古代・中世P395青森市)不意を突かれたため、堅固(けんご)を誇っていた福島城も陥落し、盛季は近くにある唐川城へ退きました。ここで盛季は籠城し、抵抗しましたが、大激戦の末、敗れてしまいます。さらに、小泊の柴崎城まで退き、ここでも敗れたため、とうとう津軽を追われ、松前へ渡ることとなります。(弘前市史資料編1P240弘前市)
※福島城本丸跡
こうして、津軽十三湊において栄華を極めた安藤氏は津軽の地を去り、津軽を手に入れた南部氏は、青森県全土を所領とし、以後100年の間津軽を支配し、大浦為信が現れるまで思うがままにしていたのです。

出典:新青森市史 資料編2古代・中世(青森市)、みちのく南部八百年 天の巻(伊吉書院)、弘前市史資料編1(弘前市)
-haru-