コラム第32話 弘前城の惣構と宗教信仰

  • 2013.06.22 Saturday
  • 11:10
 
弘前城の惣構とは、本城と城下町全域を一つの城郭と見立てて、濠や土塁で囲んだ 防衛施設をいいます。  
東側から南側には土淵川、北側には堀川(階堰)、田堰の両河川、西側には岩木川 と四方の河川が城を守ります。  
弘前の惣構は長勝寺構(33カ寺)、新寺構(南溜池と大円寺を含む16カ寺)にみら れるような寺社を惣構内の拠点として活用されていたことが一つの特徴です。  
さらに、弘前城は風水による「四神相応の地とされる東に青竜神が宿る川、南に朱 雀神が宿る池、西に白虎神が宿る道、北に玄武神が宿る山が守護する場所に築城され ています。当時、南を守護する天然の池は無く、この思想に沿うよう溜池が造られま した。  
このほか、鬼門の位置には押えとして弘前天満宮を配置し、裏鬼門にあたる位置に は長勝寺を配置し、風水上にも手厚く守護されているといえます。  
また、領内全体も神仏による加護を受けられるよう多くの寺院が建てられています。  
藩主は、津軽真言五山(最勝院、百澤寺、国上寺、橋雲寺、久渡寺)、津軽天台四 山(報恩寺、薬王院、神宮寺、袋宮寺)を定め、神仏の加護による領内鎮護を祈願す るため、自ら幾度となく寺院を訪れていました。  
このことにより領民の神仏信仰の意識も高まり、弘前藩は神仏の加護によっても守 護され、廃藩となるまで繁栄し続けけました。  
 -haru-