第21話 津軽為信の大燈篭伝説  〜ねぶた〜

  • 2013.08.26 Monday
  • 18:35
 ねぶたの由来については様々な説があります。良く知られているのは「坂上田村麻呂」伝説です。朝廷の命令に従わなかった奥州の蝦夷を、征夷大将軍として討伐にやってきた坂上田村麻呂が大きな燈籠を作り、笛や太鼓を用いて敵をおびき寄せ、捕えたのが始まりという説。七夕祭りにまつわる民俗行事で豊作祈願の一つとされる「ねむり流し」から発展したとの説。また、津軽為信が関わっている伝説もあります。津軽為信の重臣・服部長門守康成が青森ねぶたの原形を作ったという説です。文禄二年(一五九三年)津軽為信公が京都滞在の盂蘭盆会で、重臣・服部長門守康成に奇想天外な大灯篭を作らせ、京の町を練り歩かせたのが始まりといわれています。(「青森ねぶた誌」P62~P63 株式会社協同)この服部康成の菩提寺が弘前市禅林街にある安盛寺です。この寺には、為信、信枚、信義と三代の津軽藩主の画像があります。中でも為信の画風が最も優れており有名です。為信像は服部康成が寄進したもので、康成は同じものを三幅描かせ、津軽家と近衛家に一幅ずつ、そして残りの一つを自分の菩提寺の安盛寺に納めたとされています。(安盛寺提供資料より)
 ねぶたの起源にはいろいろな説があり、いまだ定かではありませんが、現在では日本全国にある土着の七夕祭りやねむり流しの行事が変化したものと考えるのが主流で、現在の形式のねぶた祭の発祥は浅虫ねぶたとされています。藩政時代や明治時代には、大型の灯籠を担いで町中を練り歩くことは禁止とされていました。しかし、一九四四年の第二次世界大戦で戦況が悪くなったため、士気を上げるために解禁されました。戦後は企業がねぶた運行の主体となり、観光行事の一つとして数えられるようになりました。 
 ねぶたの作りは、元々は竹を曲げて骨組みを作り、指等の細かい部分はその上に貼った和紙に筆で描いていました。昭和三十年代に北川啓三というねぶた師が針金を用いて指を一本ずつ作ったり複雑な造作のねぶたを作ったことによって、ねぶた界に革命が起こりました。ロウソクによって照らしていた内部の明かりを蛍光灯に替え、台座にバッテリーを乗せ明るく輝くねぶたを作ることに成功し、より芸術性と完成度を高めたのです。(「青森ねぶた誌」P224 株式会社協同)
 現在では、様々なねぶたがあります。そして、これからも青森の観光名物として輝き続けていくでしょう。
(サト)
出典 「青森県史資料編 近世1」P70青森県
コラム ねぶた師の一年