第32話 津軽真言五山と求聞寺 〜津軽を守護する真言五山〜

  • 2013.08.26 Monday
  • 18:06
※青森県弘前市岩木山神社内

 寛永3年(1626年)、弘前藩2代藩主・津軽信枚は領内鎮護、仏教に対する領民の 意識を高めるため、藩内の真言宗寺院の格式の高さを表す「津軽真言五山」を定め ました。  (青森県史資料編近世1P288 青森県)
 津軽真言五山は、信枚の師である大僧正・天海と幕府からの預人・慶光院に相談 のうえ、最勝院を筆頭寺院とし、百澤寺、国上寺、橋雲寺、久渡寺の五つの寺院と しました。

 
最勝院は弘前八幡宮の別当寺であり、領内の寺社を統括する総禄(※1)に定め られ、さらには、領内1133神社の統括もしていました。(青森県の歴史散歩P28 山川出版、最勝院ホームページ)
 
現在ある場所には、かつて大円寺があり、本堂・五重塔・六角堂等はすべて大円 寺から引き継ぎ、正面の仁王門にある金剛力士像は百澤寺の山門にあったものと伝 えられています。          

 百澤寺は現在の岩木山神社の前身で岩木山三所大権現の別当寺でした。現在、百 澤寺は存在しませんが、その痕跡は他の寺社に残っており、岩木山神社には楼門を はじめ、本堂、本坊が残され、金剛力士像は最勝院に、五百羅漢の一部は長勝寺に 伝えられています。 (青森県の歴史散歩P54山川出版) 

 岩木山神社のすぐ近くに求聞寺があります。弘前藩2代藩主・津軽信枚は家中の平安、領内の安定を願い、真言密教の求聞持法 を習得するため虚空蔵菩薩を勧請して、百澤寺境内の森に穴を掘り、そこに籠って、 呪文を百万回唱えるという荒行を行いました。
 
そして、求聞持法を修得すると、10本の指から血を取り、瓶に入れ、その上に堂 宇を建立し、百澤寺求聞持堂と称したのが起源とされています。(青森県の歴史散歩P55〜P56山川出版、真言宗津軽仏教会弘法大師霊場ホームページ)

 ※岩木山神社内

 国上寺には「坐(ね)まり不動」)があります。この不動尊は突如として汗をかくといわれており、汗をかくと領内に不吉が起こ るとされ、その際には藩主が祈祷を命じたといいます。 (青森県の歴史散歩P52 山川出版、真言宗津軽仏教会弘法大師霊場ホームページ)
 弘前城の天守が落雷により焼失した際もこの不動尊が汗をかいたといいます。  

 橋雲寺には藩祖・津軽為信が関ヶ原の合戦に出陣した際に持ち帰った「勝軍地蔵」 が祀られています。この寺からの風景は「津軽十景」のひとつとされ、津軽平野を一望できます。(青森県の歴史散歩P92 山川出版、真言宗津軽仏教会弘法大師霊場ホームページ )  

 久渡寺には津軽で一番長い227段の石段があり、寺宝には丸山応挙作「幽霊の図」 があります。この「幽霊の図」は公開すると必ず雨が降るといわれ、雨乞いの霊験 が期待されてきました。  また、オシラ様信仰でも有名な寺で、毎年5月15・16日にはオシラ講の習俗が行 われており、特に16日には北関東・東北地方の各家から数百ものオシラ様を本堂に 持ち寄って、集合祭祀を盛大に行っています。
(青森県の歴史散歩P36〜P37 山川出版、真言宗津軽仏教会弘法大師霊場ホームページ) 

 このように、藩政時代において、藩主をはじめとする人々の神仏に対する信仰心 や恐怖心は、現代の我々の想像をはるかに超える深いものであったことをうかがい 知ることができます。
※1 領内の寺社を統括するための仕事をする寺院
出典:青森県史資料編近世1(青森県)、青森県の歴史散歩(山川出版)、弘前市ホームページ、最勝院ホームページ、真言宗津軽仏教会弘法大師霊場ホームページ

弘前城の惣構と宗教信仰

-haru-