第5話 安藤氏と南部氏の覇権争い 〜十三湊の発展〜

  • 2013.08.18 Sunday
  • 10:04
※青森県十三湖近くにある市浦歴史民俗資料館

 青森県津軽半島北西部の日本海沿岸に十三湖と呼ばれる大きな湖があります。この湖は海へと繋がっており、シジミの生地として知られています。この一帯は古くは十三湊(とさみなと)と呼ばれており、鎌倉幕府から蝦夷管領に任ぜられた安藤氏が築いたとされる湊です。十三湊は12世紀頃には存在が確認され、戦国時代前期まで、北方世界の海上交通網の拠点として利用されていました。
 
※資料館内での青森県地図

 西に日本海、東に湖を望み、本州最北端の海上交通の要所として、津軽平野や国内のみならず、アジアや北方世界に広く出入り口を広げ、13世紀〜15世紀前半に国際港湾都市として繁栄しました。(「新青森市史 資料編2」青森市史編集委員会p388より)交易によってもたらさせた多くの陶磁器が出土しているとともに、大規模な都市計画の様子も明らかになりつつあります。
陸奥守(むつのかみ)安藤氏は、この場所「十三湊」を根拠地としていました。
 南北2つに分裂した朝廷が合体し、足利氏の京都室町幕府の権勢はさらに強固になった時代、安藤氏の根拠地である十三湊は、発展していきます。出羽(でわ)、北陸(ほくりく)をはじめとして畿内(きない)からの上方(かみがた)の船々や、陸奥(むつ)、蝦夷地(えぞち)の交易船で活気があったとされています。出羽、津軽、蝦夷地には上方からの船に積まれた織物・古着・酒類・穀物・雑貨品などが陸揚げされ、上り船には北の産物である昆布、鮭、マス、ニシンの油などが積まれ、春から秋まで十三湊を始め、安藤氏の支配する各地の湊は繁栄を重ねていたそうです。 
※資料館内に展示されている安東盛季の木像

 一方、かねてから北朝方(ほくちょうがた)についていた南部氏も幕府の威光によって陸奥の国司に任ぜられ、その勢力が増大していました。幕府は南朝方(なんちょうがた)の安藤氏を倒すことによって南朝方全体を徐々に弱体化させようとしていたため、陸奥の国司、南部氏に命じて、安藤氏を徹底的に討伐しようと大がかりな兵を起こしました。これにより安藤氏と南部氏の攻防線は長期にわたりつづく事になるのです。国際貿易港十三湊の発展と安藤氏の全盛は、皮肉にも北方世界動乱の序曲ともなったのでした。
(金さん)


コラム 十三湖