コラム第27話 弘前城

  • 2013.06.29 Saturday
  • 09:38
 弘前城は、津軽為信によって計画されますが、病死により、2代藩主・信枚により築城されます。慶長15年3月から翌年の16年5月の間で完成し、1年2か月という驚異的な速さで建てられた弘前城は、築城に携わった人々の努力が集結されています。

大工などの職人は、江戸や敦賀から、数百人も集められました。石垣の石材は、和徳城、大光寺城、浅瀬石城などの、かつての為信が攻め落とした敵の城から集められ、本丸入口にある鶴ノ石、亀ノ石といわれる大岩は、2日がかりで和徳城から運んだものと伝えられています。数トンもあるという石は、土そりに積み、数百人の人が綱を引いて運搬したそうです。

建築用材は、碇ヶ関、蔵館などの山から伐採し、平川を流して運んだそうです。一説によると、この時の伐採により、大鰐、石川周辺の山は禿山になってしまったそうです。築城にかかる木材の量の膨大さがうかがえます。

鉄材は、南部の田名部から調達し、更に、南部から鉄吹き職人30人を増員し、蟹田付近で砂鉄を精錬したそうです。

現在、弘前城は国の重要文化財として指定されており、一般公開されている市民公園となっています。明治36年(1903年)以降、園内には桜の植樹が行われ、花見の時期がゴールデンウィークと重なることもあり、毎年行われる弘前さくら祭りには、日本全国からの観光客で賑わいをみせます。

出典:弘前城物語 工藤英寿
つがる巷談 吉村和夫
私説 弘前城ものがたり-知られざる築城の謎-田澤正
弘前城築城四百年 城・町・人の歴史万華鏡 長谷川成一
弘前の文化財 弘前市教育委員会

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