第29話 弘前城の四神 〜沼田面松斎〜

  • 2013.08.29 Thursday
  • 00:05

※朱雀に位置する平川

鷹岡(高岡)城築城に際し、軍配者、沼田面松斎は長勝寺構、鷹岡(高岡)、亀ヶ岡の三候補から占術で鷹岡(高岡)を選んだといわれています。他の候補地は衰亡を予感させたという理由がありました。慶長15年3月、高岡城築城が開始され、翌年5月に完成します。沼田面松斎は慶長17年に没しましたが、生前は高岡を四神相応の地にしようと考えていたといわれています。四神相応とは、風水でいう繁栄を約束された地形の事で、四神は四方から降りかかる悪災を鎮め、守護するといわれる神獣です。東は青龍(土淵川)、西は白虎(西浜街道)、北は玄武(亀の甲町)、南は朱雀(南溜池)を配しています。また、弘前城の縄張りを担当した東海吉兵衛は北条流軍学に精通しており、全国でも珍しい北条流によって築かれた城となったそうです。                                                    沼田面松斎は江戸で多大な影響力を持っていた天海僧正とは刎頸(ふんけい) の友でもあったとされています。                         

※玄武に位置する岩木山

寛永5年、高岡は弘前に改められ、城名も弘前城となりました。
弘前城の縄張りを担当した東海吉兵衛は「北条流軍学」にも精通しており、弘前城は全国でも珍しい城となりました。
中世における迷信・邪説的要素である軍配を廃し、合理的な軍学を体系化して創始したものです。 また、氏長は『士鑑用法』を著わし、軍学を泰平の世における武士の精神修養法としました。(弘前城と四神相応P15〜60)   
※白虎に位置する参道


出典 風水で読み解く弘前 P15〜60(北方新社)
     青森県史 資料編1 P295(青森県)

コラム 弘前路地裏探偵団         

(メガネ)