第2話 津軽萩野台の合戦 〜十三湊の覇権をかけて〜

  • 2013.08.15 Thursday
  • 09:44
文治年間(1185年から1189年)の頃、十三湊周辺は十三藤原氏初代秀栄(奥州藤 原氏3代秀衡の弟)が福島城を築き、中央統治の力がおよばない独自の政権を確立し、 繁栄していました。
※青森県藤崎町国道7号線沿いにある石碑

しかし、3代秀直(ひでなお)の頃、執権・北条義時が十三湊を直轄地にしようと、 安東貞季(さだすえ)を外三郡(津軽半島)の蝦夷管領に任命しました。そして、貞 季はその拠点として福島城の北方・小泊に、城柵を築きました。  このことに秀直は激怒し、小泊の城柵を攻め落とします。その後、貞季の居城・藤 崎城に向けて進軍し、寛喜元年(1229年)、両氏は平川沿いの萩野台でぶつかります。
※青森市鶴ヶ坂にある戸建沢神社

この十三藤原氏と藤崎安東氏の戦いが「萩野台の合戦」です。両氏とも安倍氏の後裔で同族でした。
当初は十三藤原軍優勢でしたが、大雨による増水により立ち往生していたところへ、 曽我氏が加勢し、背後から奇襲をかけたことにより形勢が逆転。13日間続いた攻防もあっ けなく終わり、藤崎安東氏が勝利します。(藤崎町史第一巻P72〜74)
その後、秀直と一族は渡島へ流罪となりますが、秀直の子は鶴ヶ坂に逃れ、「炭焼き藤太」としてくらしていました。  藤太は出雲大社の神様の導きにより、京の右大臣の姫を娶り、のちに「藤原頼秀」と なります。その7代後が弘前藩の祖となった大浦光信だという伝説があります。(青森の歴史散歩P80〜90) 一方、十三湊を手中にした安東氏は交易により、栄華を極めることとなります。

出典 藤崎町史 第一巻P72〜74(藤崎町)
   青森歴史散歩P89〜90
-haru-


 コラム 金売り吉次