第12話 大浦為信、大光寺城攻め 〜平川市の軌跡〜

  • 2013.08.19 Monday
  • 10:28

 大光寺城は「津軽三大名城」の一つです。
大光寺城跡
※大光寺城跡
 永禄八年(一五六五年)、南部氏家臣の大光寺城主・滝本重行は、対立していた乳井城主・乳井玄蕃を暗殺します。そのため玄蕃の子・乳井建清は父の敵討ちの機会を伺っていました。
 津軽は南部氏の統治下にありましたが、天正十年(一五八二年)、南部氏二四代晴政が亡くなります。後継を巡って内乱が起き、その隙を狙って、大浦為信が津軽を手中にしようと石川城を急襲し南部氏を撃破します。そして、為信は次々と南部氏の居城を攻め落としていきます。そこで、乳井建清は大光寺城も攻め落そうとしていた為信と手を組みます。天正三年(一五七五年)為信とともに攻撃し、陥落させ、ついに敵討ちに成功します。(「つがるの夜明け」P186陸奥新報社)
大光寺城跡大手門跡之碑
※大光寺城大手門跡之碑
 慶長四年(一五九九年)に、為信の娘婿・津軽建広が大光寺城主となりますが、慶長十五年(一六一〇年)、為信が死去すると、建広は大光寺城を去ったため廃城となります。(「為信戦跡」P14一般財団法人弘前みどりの協会)
 その後、大光寺城は弘前城築城のため解体され、その部材を転用したとされています。弘前城北門の「亀甲門」と誓願寺の「鶴亀門」は、大光寺城にあったものだとされています。弘前城亀甲門は、大光寺城の追手門を移築したものであり、大光寺から弘前に移転した弘前市新町誓願寺の鶴亀門も大光寺城のものを移転したとの伝承が残ります。(「つがるの夜明け」P192陸奥新報社)
関所資料館のある津軽関の庄
※関所資料館のある津軽関の庄
 「亀甲門」は一度も戦の舞台とならなかった弘前城の中で、唯一実戦の痕跡が残っている場所です。為信が津軽統一を果たすために大光寺城で戦った証として、多数の刀や矢の傷が残されているのです。
                                                     (サト)
出典 「新青森市史資料編 古代中世」P473青森市


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