第11話 大浦為信、和徳城攻め 〜幕開け〜

  • 2013.08.19 Monday
  • 10:27
※青森県和徳町 和徳神社

 青森県弘前市和徳町。ここは青森に至る街道筋であったため、商家の屋並みも形成されてにぎわいを見せたと言われています。この地域の一角に和徳稲荷神社が建てられており、和徳城があったとされる場所です。(「為信戦跡」P12一般財団法人弘前みどりの協会)

※神社内

 元亀二年(一五七一年)五月五日、三戸南部氏の支配に不満をもった大浦為信は決起し、まず手始めに石川城を攻め、落城させます。さらに勢いづいた大浦勢はその日のうちに森岡信元約二五〇人、小笠原信清約一五〇人、為信本隊約五〇〇人で三方から和徳城を攻めました。城主の小山内讃岐守は一族譜代と共に約五〇人で出撃したといいます。和徳城の城兵約一四〇人と出撃した部隊は一人残らず討ち死にし、和徳城は落城しました。
 小山内讃岐守は自刃し、嫡子・主馬(しゅめ)・次子・求馬(もとめ)・三子・弥三郎も討死し、さらに隠居していた父・永春も援軍として駆けつけましたが、形勢不利と見て、親類・田舎館家の居城田舎館城に引き上げる途中、小笠原信清隊に討たれ討死しました。大浦為信は挙兵し、わずか一日で石川城と和徳城を攻め落としたのです。大浦為信の津軽制覇の第一歩は、壮絶な幕開けとなったのです。この戦いの際、兵士たちが食べた野戦食が津軽地方の郷土料理「けの汁」の起源といわれています。(「つがるの夜明け」P182〜P184陸奥新報社)

※けの汁発祥と書かれた看板
 その後、和徳城は為信によって配下の森岡金吾信元に与えられます。しかし為信が津軽地方を領有し、弘前城が完成した頃には和徳城は自然に廃城となったものと考えられています。和徳城の正確な位置については断定されていません。現在の和徳神社一帯、あるいは坂の上・坂の下といわれる地区と考えられています。

(サト)

出典 「新青森市史 資料編2古代中世」P468青森市


コラム けの汁