第30話 弘前藩、森山弥七郎に青森開港を命じる

  • 2013.08.29 Thursday
  • 00:30


※青森県青森市にある堤川

青森港は寛永3年1626年に弘前藩によって作られました。任務にあたったのは奉行の森山弥七郎です。森山弥七郎は「青森開港の祖」といわれ、今日の県都・青森市の原型を築いた人物です。(青森県史資料編近世1P282)


※青森市善知鳥神社内、善知鳥沼

親南部派・アイヌ・在郷商人層などの旧勢力は新領主の津軽氏になかなか馴染みませんでした。旧勢力は反発を続け、経済基盤である交易の利点を藩側に移す目的として青森港が作られたといわれています。津軽二代目藩主・信枚の代となって、一国一城の制約もある南部藩に備え港のある町をつくることを考えたといわれています。作り方によっては大きな港町は城よりも戦いの時に有利であるという事で、外ヶ浜地域の小漁村に過ぎなかった善知鳥村に港を築造し、森山弥七郎によって町割りが行われ青森港は青森が誕生したきっかけでもあります。
 


※善知鳥神社内、鳩がよくいます。

一般商家と酒造業者が集まる大町、船問屋が集まる浜町、米商人の集まる米町の3町に町割りされました。特に酒造業者については青森の産業のはじまりだといわれています。原料の米と良い水に恵まれた青森は一時期61件もの酒造業者があったといわれています。ところが、1711年〜1716年をピークにして酒造業者は次第に衰退していきました。理由として度量なる大火による被害から立ち直れなかった事と、資質の変化におくれをとったためといわれています。特に天明、天保の大凶作の際に節米のため酒造が禁止され、その間上方の良酒が大量に出回ったことも衰退への道を後押ししました。(青い森と堤川P72〜75)


※青森市アスパム

出典 青い森と堤川 P72〜75(北の街社)
   青森県史 資料編 近世1 P282(青森県)

(メガネ)


コラム 青森の顔アスパム