第25話  津軽為信の死と菩薩寺 〜革秀寺〜

  • 2013.08.27 Tuesday
  • 10:10

※青森県弘前市革秀寺


  慶長7年(1602年)、津軽為信は、病気の嫡男・信建(のぶたけ)を見舞う為、京に向かいました。しかし、為信の到着を待たず信建は病死し、為信本人も京の地で、その人生に幕を閉じます。
 その津軽為信の霊屋が、弘前市藤代の津軽山革秀寺にあります。革秀寺は、慶長12年、2代目領主津軽信枚(つがるのぶひら)によって建てられました。門前には池があり、夏には、美しいハスの花が一面を埋め尽くし、見る人の目を楽しませてくれます。


※革秀寺 津軽為信霊屋

 蓮池を越えると山門が立ちふさがっています。山門の扉には、津軽家家紋である津軽牡丹が刻まれています。山門をくぐり、右に目をやると、鐘楼があります。重厚な鐘楼の音は、今も革秀寺に眠る為信の魂を慰めています。
 そして、山門をまっすぐ進むと、本堂が見えてきます。国の重要文化財にも指定されている本堂は、茅葺きの屋根やウグイス張りの廊下が、歴史を感じさせてくれます。

※霊屋は極彩色の装飾が施されています

 本堂の左手には、津軽為信霊屋(つがるためのぶのたまや)があります。建立された当時は、質素なものであったようですが、文化年間の修理によって、現在の極彩色な姿になったようです。現在、非公開となっている霊屋内部の壁は、板卒塔婆(いたそとば)に囲まれており、そこには宝篋印塔(ほうきょういんとう)と呼ばれる供養塔が安置されています。
 革秀寺は、今もなお、津軽為信の威光を感じることができる場所となっています。

アラン・スミシー

参考文献
津軽為信 p259(東奥日報社)
青森県史資料編近世機。陦隠僑検弊朕晃)
青森県の歴史散歩 p50(山川出版社)

 

コラム 為信の死に思う「真実」の行方