第18話 大浦為信、田舎館城攻略 〜為信の胸中〜 

  • 2013.08.22 Thursday
  • 17:34
   ※青森県田舎館村の城の形をした役場


青森県南津軽郡田舎館村、ここには田舎館城がありました。津軽平野一帯に建てられた城の中では比較的規模の大きい城で、本郭、新館など、4つの郭で構成された平城です。内部に領民、町屋を包括した変則的なつくりの城だったそうです。規模は東西500m×南北400m程で、本郭・外郭・新館・本郭東郭の四郭で構成されていたといいます。かつては城の北側と南側に隠し水門があり、水門を閉じると城周囲は一面の沼地に変わり、天然の要塞となったそうです。
 
田舎館役場のすぐ近くにある生魂神社田舎館役場のすぐ近くにある生魂神社


現在は、宅地化や水田により遺構はほとんどありませんが、本丸の北側に土塁の痕跡と思われる「ヤマコ」が残っています。田舎館城内には生魂(いくたま)神社があり、中には田舎館城記念碑や、田舎館城の説明文などがあります。
文明7年(1475年)浅瀬石城主千徳正久の二男・千徳大三郎貞武(政実)が田舎館城を改修、居城としました。しかし、天正13年(1585年)に5代城主・千徳掃部政武は、大浦為信との戦で敗れる直前に自害し、落城したといわれています。ヤマコに在るサイカチの大樹は、天正13年(1585年)の落城の際、330余名の城兵を埋葬した時の供養樹と伝承されています。落城に際し、正室、於市の方は落延び、嫡子・武丸は鬼沢村の棟方左衛門の養子となったのち、その後棟方氏は11代続きました。慶長6年(1601年)、徳川の世となり、津軽を統一し近世大名となった津軽為信は、津軽統一戦争で討ち死にした者達を、敵味方の別なく供養するための法要をとりおこないました。その時、田舎館城主・千徳政武の妻・於市は、津軽為信の前に進み出て、短剣で自らを突き刺し自害したといいます。(田舎館村誌 上P150〜155、P802〜803)
 
田舎館村 田んぼアート










※田舎館村 田んぼアート


田舎館城は津軽平野の中央地に築かれた城です。津軽の平城の多くは微高地に築かれており、田舎館城を含め、ほとんどが宅地化されています。田舎館村役場の最上階は天守閣風になっており、ここから田舎館城跡が一望できます。そこから田んぼアートを見ることができ、6月から9月頃までが見ごろです。

出典 田舎館村誌 上 P150〜155、P801〜803 (田舎館村誌編纂委員会)
   つがるの夜明け P214〜216 (陸奥新報社)
 
(メガネ)
 

コラム 生魂神社