コラム第35話 弘前藩4代藩主・津軽信政

  • 2013.06.30 Sunday
  • 23:50

弘前藩の全盛期を築き上げ、江戸時代前期の名君、並びに弘前藩中興の英主とされた弘前藩4代藩主・津軽信政。

信政は、父の死去後、明暦2年(1656年)2月に家督を継いで藩主となります。しかしまだ幼かったため、叔父の津軽信英が補佐を務めました。信政は幼少期から聡明で、山鹿素行に師事し、儒学や兵学を学び、吉川惟足の師事も受けて神道を学びます。そして、惟足からは吉川神道の奥義を授けられています。
 
成長したのちの信政は、津軽新田の開発、治水工事、山林制度の整備、植林、検地、家臣団の郊外移住による城下町の拡大や、養蚕、織物、製糸業などの発展・育成に努めます。民政においても善政を重んじ、弘前藩の藩政確立と発展に尽力し、藩の全盛期を築き上げます。
 
しかし晩年の信政の藩政にも陰りが見え始めます。藩内で起こった3万人以上の死者を出した大飢饉、さらに失態事件を起こすなど、次第に藩政は衰退の一途をたどります。混乱の最中の宝永7年(1710年)10月、信政は弘前城にて死去し、享年65歳の生涯を終えます。5代藩主となった信寿は信政の遺言に従い、御霊を高照神社に祀ったそうです。

(サト)
出典、青森県の歴史散歩