南部編第21話 九戸政実の乱 〜家督相続争い〜

  • 2013.12.22 Sunday
  • 13:55

 

 
※九戸城の図

 南部氏二十四代当主・南部晴政には男子が無かったため、石川高信の子である信直(晴政にとり従兄弟)を長女の婿養子として三戸城に迎え世子としました。やがて、晴政に男子(後の南部晴継)が生まれると、晴政は信直を後継者とした事を悔やむようになります。更に信直の妻(晴政の長女)が死去したことにより、両者の仲はますます険悪になります。信直の事を快く思わなくなった晴政に「信直は晴政の事を怨み仇と思っている」と告げ口する者も居たといいます。晴政はこれを聞いて信直を憎み、折を見て殺そうと思うようになりました。しかし、剣吉城主・北信愛(きたのぶちか)は、領主としての器量をそなえた信直の不幸を痛ましく思い、八戸政栄(根城南部家十八代)と申し合わせ、信直を剣吉城に匿います。晴政はこれをねたみ、軍を率いて数回剣吉城に攻め寄せますが、軍を率いた八戸政栄が、双方の陣の間に割って入り和睦を取り持ちました。晴政はこの後も、川守田毘舎門堂に参詣した信直を襲い殺そうとしますが、危機を感じた信直は跡継ぎを辞退し田子城に帰ります。信直は後難を恐れ八戸政栄に助けを求めました。政栄が信直を八戸根城に数年かくまった事により、晴政の怒りはつのりますが、時節を待つうちに晴政は病死してしまいます。(「南部の歴史 中世編」P324〜P325伊吉書院)


※九戸城跡

 天正一〇年(一五八二年)、晴政の後を継いだ南部氏二五代晴継も十三歳の若さで死去(病死とも暗殺ともいわれる)すると家督争いが起こります。南部家の一族家臣が誰を家督とするかについて三戸城で会議を開きました。会議の大勢は二派にわかれ、一派は南部氏一門の中では第一の実力者である九戸政実の弟で晴継の姉婿にあたる九戸実親(さねちか)を推し、他の一派である北信愛らは、晴政の従兄弟で、晴継の長姉の婿である信直を推しました。議論は紛糾し、実親を推す空気が強くありましたが、北信愛が事前に一族の有力者・根城南部氏の八戸政栄を調略し、信直を支持したので、後継者に信直が決定します。信直は北信愛の手勢に守られて田子から三戸城に入り二六代の当主となりました。九戸政実としては内心、自分が南部氏の領主となるか、または弟の実親を領主にたてて、九戸一族の手により南部領内の支配権を握りたかったと考えていましたが結果は思いもかけず、北信愛の強行意見により、二六代当主には信直が任命されました。その後政実は、同じ南部氏の中でも、自分を支持する派閥の勢いを強化し、ことあるごとに信直に対抗するようになりました。信直の家督相続をめぐる南部一族の分裂は相続後もおさまらず、八戸政栄、北信愛等は信直を支持し、櫛引清長、七戸家国、久慈政則等は九戸政実を支持し、対立は深刻化しました。この南部一族の分裂に乗じ家臣の大浦為信が反乱を起こします。その時も九戸政実は信直に協力せず反信直の姿勢を示していました。この相続争いにより、やがて九戸の乱が引き起こされるのです。


※九戸城二の丸跡

                                                     (サト)
出典 「南部町誌 上巻」P414〜P428 南部町、「三戸町通史」P72〜P77三戸町、「田子町誌」P309〜P310 田子町