第16話 大浦為信、外ヶ浜攻略 〜各城主の足取り〜

  • 2013.08.20 Tuesday
  • 14:29
※青森県蓬田村の海岸
青森県東津軽郡蓬田村、蓬田川北岸に蓬田城跡があります。蓬田城は嘉禎4年(1238年)、安東盛季の弟・潮潟四郎道貞が築城し、その後数代を経て、天明年間から平将門の後裔・相馬氏の蓬田越前守則政が城主となり、以後、百有余年、相馬氏が外ヶ浜を支配します
※蓬田村の向かい側にある公園

元亀2年(1571年)、津軽統一のため大浦為信は南部氏の諸城・石川城を手始めに、和徳城を、天正2年(1575年)に大光寺城を、天正6年(1578年)浪岡城を攻撃し、いずれも陥落させました。さらに、外ヶ浜一帯の諸城を攻めはじめ、油川城を攻略した翌日、外ヶ浜の諸城主に降参を促ました。蓬田城主・蓬田氏は油川城が陥落したことを聞き、城を明け渡し、南部藩領に逃げてしまいました。すでに、高田城主・土岐大和之助則基は浪岡城攻撃の際に長男・則里と共に討死しており、荒川城主は、適わないとみて無条件で降伏しました。抵抗した横内城主・堤弾正左衛門は城を棄てて近郷にひそみ、鉄砲で為信の命を狙っていましたが、失敗に終わり、為信の配下、福士弥三郎によって射殺されました。
※公園内

そのような要因から、外ヶ浜一帯は戦乱の舞台とはならなかったため、為信は無傷でその地を治めることができました。さらに同年、田舎館城を陥落させ、天正16年(1588年)、飯詰城の攻略をもって、大浦為信の津軽統一は達成されました。こうして、津軽一帯は為信を祖とする弘前藩により、以後約280年間支配されることになるのです。
 
出典 つがるの夜明け p207〜209(陸奥新報社)
   新青森市史 資料編2 古代・中世 p498(青森市史編集委員会)                  
(メガネ)


コラム 平将門