南部編コラム22話 薩天和尚(さってんおしょう)

  • 2013.07.23 Tuesday
  • 12:02
 九戸政実の乱で討伐軍が九戸軍との交渉の際、使者として政実を説得した薩天和尚。討伐軍の謀略を真に受けて、政実に伝えた薩天和尚のその後の消息は、歴史書には何も書き残されてはいません。ただ言い伝えとして、いくつかの伝説が残されています。そのひとつが「薩天和尚は、政実の子・亀千代を預かり、気仙から海路を通って、上方(京・大阪方面)に逃れた。そして亀千代は成長後、名を堀野三右衛門と改めて徳川家康につかえ、三千石を賜った。三右衛門は寛永年間に奥州を巡視したが、その際九戸に立ち寄り、親しく祖先廟を参拝し、戦死者の霊慰めた」というものです。他には「徳川方の井伊直政の城下で、近江彦根にある菩提寺・清竜寺の住職に抜擢された」また「戦が終わった後、討伐軍に偽られた事を知り、怒りの余り、南部家の菩提寺に姿を現し、その玄関に座り込んで、腹を切り、臓物(はらわた)を取り出して投げつけ、憤死した」ともいわれています。薩天和尚としては、仏に仕える身でありながら、討伐軍にあえて残虐行為を行わせた事を悔やみ、その遺族に対しては、大いに責任を感じていたに違いありません。

出典:物語 南部の歴史
                                                     (サト)