南部編コラム27話 盛岡藩の産業

  • 2013.07.21 Sunday
  • 11:56
 盛岡藩領内には様々な産業がありましたが、他藩には見られない特に力を入れていた産業を紹介します。

 南部領内は古来から名馬の産地として知られており、源平合戦の言い伝えに登場する熊谷次郎直実の「太夫黒(たゆうぐろ)」、源義経の「青海波(せいがいは)」、佐々木高綱の「池月(いけづき)」、梶原景季の「麿墨(するすみ)」などは南部九牧(※1)の一つ住谷野の産出であるといわれています。
 盛岡藩はその伝統を受け継ぎ、優良馬の産出に関して特別な政策を採り、良馬生産に力を入れていました。

 他には、南部鉄瓶の製造があります。南部鉄瓶は現在でも有名ですが、その発祥は江戸時代に遡ります。
 万治2年(1659年)、南部重直が茶道に通じており、茶釜作り専門の鋳金職人として召し抱えた釡師・小泉仁左衛門が盛岡に移り住み細工場を建て、茶道用の釜作りをはじめたのが起源とされています。
 3代仁左衛門の頃、今のような形状の南部鉄瓶が作られるようになったといわれています。
 その後、藩主の土産品となり、盛岡藩を代表する特産品となりました。
 小泉家の南部鉄瓶の製造技術は現在まで受け継がれ、継承者は代々、小泉仁左衛門を襲名し、存続しています。

 盛岡藩からは多くの杜氏(酒造りの職人)が輩出されたことで知られています。
 南部杜氏は近江商人である村井権兵衛が八戸藩の飛び地で、米どころであった志和郡上平沢で造り酒屋を始めたことに由来されるといわれています。
 村井権兵衛は、延宝5年(1677年)に造り酒屋を始め、関西流の醸造法を採用し、京都に本店を置いており、南部領内から奉公人のを雇い入れ、醸造技術を学ばせたといいます。
 南部杜氏はもともと農家の者が多く、農作業が無くなる冬に仙台領の造り酒屋へ招かれるようになり、南部領からの杜氏ということで「南部杜氏」の名は全国に知れ渡ることと
なりました。
 そして、越後杜氏、丹波杜氏とともに日本三大杜氏の一つに数えられるようになります。
 現在、石巻市石鳥谷に南部杜氏伝承館」が建てられ、藩政時代からの酒造りの歴史を体感できるようになっています。

※1 南部九牧 南部藩直営の名馬生産のための牧場。南部九牧は三崎野(野田)、北野(野田)、住谷野(三戸)、相内野(三戸)、又重野(五戸)、木崎野(五戸)、有戸野(野辺地)、奥戸野(田名部)、大間野(田名部)の9カ所。

出典:三戸町史、五戸町史、盛岡藩

                                                                                                                                                             〜haru〜