南部編コラム14話 八戸沿岸の神・鯨

  • 2013.07.14 Sunday
  • 11:43
 藩政時代、八戸の浜では鯨がやってくるとそれらがイワシを追いこむので豊漁となるこ
とから、漁師たちは鯨を神様の使いとして崇めていました。
 また、鯨は食糧になる肉、貴重な油も採たので貴重な収入源となっていました。当時
は捕鯨技術もなかったので、岸によって来て動けなくなった「寄り鯨」を捕まえるし
かありませんでした。
 この寄り鯨が捕れると七浜が栄えるといわれていました。七浜とは7カ所の漁村のことで
すから、鯨が捕れると八戸の海岸一帯が賑わったということになります。
 八戸市白銀町の三島神社近くの小川にかけらた「鯨橋」という橋があり、この橋の材料
にはクジラの骨が使われていたといわれています。

 1679年(延宝7年)白銀海岸に寄った鯨を捕獲したところ、白身が13駄(※1)、赤身が
56駄、油が50杯樽で4つあったと藩の記録に記されており、それから2年後の正月には白銀
の浜に36頭のマッコウ鯨が寄ってきたとされています。1頭の鯨でも七浜が賑うという
くらいですから、この時は白銀はもちろん、鮫、湊、八戸までにぎわったということです。
 1682年(天和2年)、白銀海岸に体長約5.4メートルのマッコウクジラが寄ってきたので、
藩では役人を派遣し、これを入札させた結果、12両で売れたので、1両を三島神社に寄進し、
3両を両氏に与え、残りは藩の収入となりました。
 1764年(明和元年)、この年は八戸領内は干ばつ、暴風雨で凶作、津軽領は大豊作という
年でしたが、小子内浦に20メートル近い大鯨があがりました。
 これを入札したところ115貫500文(※2)で落札され、1801年(享和元年)の巨鯨は243貫
500文で落札されたといいます。このうちの半額を藩が徴収しています。さらに1818年(文
政元年)には大量の鯨が打ち揚げられ、これらは藩に多大な収入をもたらしたといわれてい
ます。
 八戸藩内の農作物はたびたび天災により凶作となることが多かったため、鯨は貴重な収入
源であったといえます。

※1 駄 1頭の馬が背負える重さ
※2 貫 100両。115貫500文は11550両。

出典:南部地方史八戸藩
                                             -haru-