第15話  大浦為信、油川城攻め 〜奥瀬善九郎は南部へ逃走〜

  • 2013.08.20 Tuesday
  • 12:10

 青森市油川地区は中世から続く「外ヶ浜」を代表する湊街で油川城があったとされる場所です。

 ※油川城跡


  東日流記によると、天正131585年)羽柴秀吉が関白になった年、油川城は大浦為信の攻撃によって落城したといわれています。(「新青森市史 資料編2」p498~500 青森市史編集委員会)南部氏の家臣として津軽の要所を支配していた城主・奥瀬善九郎は少人数の部下とわずかな軍資金をもって田名部方面へ逃れました。『津軽一統志』の一文に「天然ノ質大臆病」と書いてある箇所から、奥瀬善九郎は臆病な性格であることが伺えます。結果として為信は一戦も交えず、油川城を攻略した事になります。

 現在、城の周辺は畑地と植栽地になっています。城は高さが低い場所に築かれていたようで、わずかに堀跡や土塁の痕跡が残っており、四方の外壁に囲まれた城であったといわれています。しかし、どのような建造物があり、どのような生活が営まれていたのかというような記録はほとんどありません。

 
 油川には奥瀬氏の菩提寺だった浄満寺があります。本堂の裏手に小高い茂みがあり、そこには、いくつかの五輪塔があります。寺に伝わるところでは、この五輪塔は奥瀬氏の墓であるといわれています。寺宝の円空作「木彫釈迦牟尼如来坐像」(もくぞうしゃかむににょらいざぞう)は青森市指定文化財になっています。境内には青森湊を開いた森山弥七郎の供養塔や、天明の飢饉で餓死した人々を埋葬した千人塚などがあります。
 
 油川は海上交通を中心に発展してきた町とされています。現在の青森市のルーツを考えるとき、中世後期における油川城・大浜湊の存在は、ますます重要となってくるのではないのでしょうか。
                                                    
(金さん)

コラム 津軽一統志