南部編コラム2話 浄土都市・平泉

  • 2013.07.02 Tuesday
  • 11:45
 平安時代中頃、東北地方北部で起こった前九年の役、後3年の役では大豪族・安倍氏、
清原氏が滅び去り、結果として、安倍氏、両氏双方さらに、都の貴族・藤原氏の血を
引く藤原清衡が唯一の後継者として、東北一帯を支配することになりました。
 しかし、その代償はあまりにも大きく、父・藤原経清は惨殺され、妻子は弟・清原家衡
に殺害され、その家衡も討ち取られました。清衡は肉親のすべてを失い、親族である安
倍・清原両氏も滅びてしまいました。
 みちのくの地は以前から蝦夷の地として、都から攻められ続け、これ以上みちのくの
悲哀が続くことを終わらせたいという清衡の切実な思いが「みちのくを仏国土(浄土)
に」という悲願へとつながります。
 みちのくは後進的な地域とされ、都との文化格差は圧倒的な状態でした。これでは都か
ら虐げられるのも無理はないと悟った清衡は都の要人との人脈を確保し、都にも劣らない
「平泉文化」を確立し、安定した独自政権を確保する必要がありました。そのためには
みちのくの現地勢力を抑え、安定した地方政権を確立することと都への特産物(金・名
馬・鷹羽根・アザラシの革等)の安定供給が不可欠でした。このことが達成できれば都か
らの介入を防ぐことができるうえ、莫大な利益がもたらされ、独自の政権・文化を確立す
ることができると考えました。さらに文化格差を埋めるためには仏教文化を取り入れる必
要がありましたが、平泉には僧侶がいませんでした。そこで、清衡は天台僧・自在房蓮光
に帰依し、精神的な基盤を得ました。清衡は精神的基盤に平等を説く「法華経」を置き、
目に見える形で都にも劣らない超一流の「平泉文化」を築くことを理想としました。
 悲願達成のため清衡は江刺郡豊田館からみちのくの中央に位置する平泉に移転し開府しま
した。
 平泉は東に北上川(青龍)、南に低湿地(朱雀)、西に奥大道(白虎)、北に関山丘陵
(玄武)を配した「四神具足の地」であり、水陸(北上川、奥大道)の要衝でもありました。
清衡はこの地をみちのくの浄土とすべく都市開発に着手し、その意志は2代基衡、3代秀衡に
受け継がれ、聖山・金鶏山を中心に北に中尊寺、南に毛越寺・観自在王院、東に無量光院が
配置され、その周辺に政庁、居館、街路を整備し、他に例のない「浄土都市・平泉」をつく
り上げました。
 世界遺産「平泉」は、みちのくが都からの「無知・不平等・偏見」払拭を目指した奥州
藤原一族の悲願として確立された「現世浄土・自然美の浄土」なのです。

出典:図説平泉(浄土をめざしたみちのくの都)
                                      -haru-