南部編第27話 南部氏の代官たち 〜盛岡・八戸藩の独特の行政組織(通制)〜

  • 2013.12.21 Saturday
  • 14:06


※五戸代官所

 南部藩・八戸藩では領内の郷村支配のため代官統治地区を「通」(とおり)と称し、1通(1代官統治区)には藩から代官を配置し、統治していました。(盛岡藩P127〜P128現代書館)慶安5年(1652年)には、47の代官区とし、遠野の南部氏の1区を加え48の代官区がありました。
 通制度は検地が進むにつれ整えられ、享保20年(1735年)には制度が確立され、10郡33通となっていました。その後、藩財政の窮乏により代官所にかかる経費を削減するため、寛政4年(1792年)には25通に減らされました。(盛岡藩P126〜P127現代書館)
 代官所の役割として、検見(※1)立会い・検地の総高吟味・社寺に関すること・宗門改め・牛馬改め・他領者の往来の吟味・犯罪の取り扱いなど郷村にかかる司法・行政・警察権の全てにおける強い権限を与えられ統治していました。(盛岡藩P127〜P128現代書館)
 代官所には代官2人が配置され、任期は3年、半年ごとの交代とし、非番の代官は勘定所に出勤し、藩と代官所との連絡にあたっていました。代官のほかには下役(※2)・物書(※3)・牛馬役(※4)・野馬別当(※5)などが置かれ、必要に応じて特別な役人が置かれていました。



※かつて三戸代官所があった観福寺

 青森県内には2郡5通あり、三戸郡に五戸通・三戸通、北郡に七戸通・野辺地通・田名部通がありました。ここでは五戸代官所、三戸代官所について述べます。
 五戸代官所は文禄4年(1595年)頃、両国支配に乗り出した三戸南部氏26代当主・南部信直が、木村杢之助秀勝に命じて、代官所周辺の町場と一緒に造成させたものと伝えられています。(青森県の歴史散歩P288山川出版社)
 五戸代官所には代官2人のほか下役・帳付・野馬別当・牛馬役などが置かれ五戸通29ヶ村の総石高は約1万4千石(慶安5年(1652年)当時)でした。(五戸町史上巻P207〜P209五戸町)
 明治2年(1869年)には、一時、斗南藩(旧 会津藩)の藩庁となっていました。現在、五戸代官所は平成10年にオープンした「歴史みらいパーク」の中に、文久年間頃に再建され平面図を基に復元され、五戸町立図書館に併設されています。(五戸町図書館歴史みらいパークホームページ 五戸町)



※関根の松

 三戸代官所には、代官2人、下役などの他に植立奉行(※6)・漆木奉行(※7)・御古城掃除奉行(※8)・鷹巣御用懸(※9)・別段廻役(※10)等の特別な役人も置かれていました。
 三戸歴史民俗資料館には藩主から代官にあてた御古城掃除についての書状が残されています。三戸通33ヶ村の総石高は約一万二百石でした。(三戸町史上巻P140〜P147三戸町)
 三戸には野馬別当であった一戸五右衛門が祖先である一戸兵部綱定が藩主から賜った盆栽を屋敷内に植え、その松が今も残されており、「関根の松」として知られています。
 三戸代官所があった場所は、現在、三戸福祉会館が建っており、三戸代官所の門は、現在、町内にある観福寺の山門となっています。


※1 検見:検地の役人が作った検地帳の基準に基づき、毎年の作況を調べること。検見の            指数平均値に一定税率をかけ     て貢租とし、この作業により年貢高が決定します。
※2 下役:代官を補佐し、他の役職を指揮して庶務の整理を掌る役職。
※3 物書:上司の命令を受けて、文案の作成および諸記録をする役職。
※4 牛馬役:馬の改良・生産を奨励し牛馬の生死や、移入売買などに関する管理を行う役職。、
※5 野馬別当:南部九牧を統括する役職。
※6 植立奉行:山野に植林することを掌っていた役職。
※7 漆木奉行:福岡通、三戸通、の漆産地だけに特設された役職。
※8 御古城掃除奉行:本城が盛岡に移ってから、三戸城は「御古城」と呼ばれ、城の修復や、掃除を疎かにしないように特設さ          れた役職。
※9 鷹巣御用懸:鷹狩用の特にハイタカの巣の発見・管理をする役職。
※10 別段廻役:地方目明(めあかし)を指揮して、犯罪人を捕える役職。三戸町と田子町に一人ずつ置かれていました。

出典:五戸町史上巻(五戸町)、三戸町史上巻(三戸町)、青森県の歴史散歩(山川出版社)、盛岡藩(現代書館)
   -haru-