第14話 六羽川合戦  〜価値〜

  • 2013.08.19 Monday
  • 11:30
※六羽川


時に社会は、人の価値を酷薄にも露骨に示してしまうことがあります。
田中太郎五郎の英雄的行動は、そのことを考えさせてくれます。
この六羽川合戦の顛末を見たとき、あなたは何を感じるのでしょうか。

浪岡氏を滅ぼした大浦氏と安東氏は対立していました。安東氏は戦に打って出ることを決意し、比内(現在の秋田県大館から扇田付近)の比山六郎、七郎に津軽侵攻を命じました。比山兄弟は、大浦氏に父の旧領を奪われており、大義名分も立ちます。
天正7年(1579年)7月、比山兄弟は挙兵しました。六羽川合戦の幕が上がります。
比山勢には、さらに滝本重行勢、北畠顕則勢も加わり、総勢1000名余の軍となりました。

※田中太郎、五郎の石碑

比山勢は、乳井城、乳井茶臼館を次々と攻め落とします。城主・乳井建清が不在だったことも影響したのかもしれません。勢いもそのままに、茶臼館からおよそ3キロ離れた沖浦城も続けて攻めました。
しかし、ここは城主阿部兵庫介が奮闘し、城を落とすことを断念した比山勢は、茶臼館に退却しました。ここでついに、大浦為信が出陣します。為信は本陣を岩館に置き、自ら出兵しました。そしていよいよ、六羽川の畔で、大浦勢と比山勢が相まみえることになりました。大浦勢は、劣勢を強いられ、為信は窮地に陥りました。それを救ったのが、田中太郎六郎という武士でした。田中は、為信の具足を着用し、為信の馬にまたがり、身代わりとなって伏兵の凶弾に倒れました。
※茶白館城跡

為信を討ったと勘違いした比山勢は隙を突かれ、総崩れとなり、六羽川合戦は、大浦勢に軍配があがりました。戦の後、為信は、太郎五郎の息子宗右衛門に百石を加増しました。                                   
アラン・スミシー   

<参考文献>
つがるの夜明け p202 陸奥新報社編 昭和34年
津軽為信 p171 成田末五郎 昭和50年


コラム 六羽川の今