南部編第16話 三戸城 〜三戸五ケ城〜

  • 2013.12.17 Tuesday
  • 11:27

 


※三戸城跡

 三戸城には、二四代晴政から二五代晴継、二六代信直、二七代利直まで四代七十数年の間、南部氏の領主が糠部を守っていました。天文八年(一五三九年)に家臣・赤沼備中の放火によって焼失した聖寿寺館(本三戸城)には、初代光行が平良ケ崎城を建ててから、二四代晴政までが居を構え、その間には十三代守行・十四代義政・二十代信時らが大いに活躍し、北奥羽に輝かしい南部氏の業績を残しています。しかし、長い歴史の中では、三戸南部氏にとって非常に苦しい時期もありましたが根城南部氏の当主、南部師行らの活躍により南部氏苦難の期間も四十数年で終える事ができました。その後、糠部はもちろん、津軽や岩手県中部、秋田県の東部にまで支配地を拡げていき、二四代晴政の時代になってからは、再び南部氏は栄える事となるのです。(「物語南部の歴史中世編」P301 伊吉書院) 


※三戸城

 もともと南部氏には南部町にある聖寿寺館(本三戸城)の他に、平良ケ崎城、馬場館、大向館、三戸町の要害堅固な三戸高城(留ケ崎城)などがあったとされています。「三戸五ヶ城」と呼ばれたこれら五つの城が互いに連絡を取り合い、聖寿寺館や平良ケ崎城を守っていたと思われます。


※南部利康の霊屋

 聖寿寺館(しょうじゅじだて)は、現在城山公園となっている三戸城が築城される以前は三戸城として、南部氏歴代の居城でした。三戸五ヶ城などの南部氏ゆかりの館跡の中の中心的な館で、天文八年(一五三九年)南部晴政に恨みを抱く家臣・赤沼備中の放火により館が焼失した際、同時にたくさんの古文書も焼失し、南部氏の歴史が伝承のみとなってしまいました。その後、現在の三戸城に移り、聖寿寺館は廃城となったとされています。平成六年(一九九四年)より本格的な発掘調査が行われ、当時の文化に関する物が多数出土されています。「史跡 聖寿寺館跡」は「聖寿寺館跡本体」のほかに、南部氏の菩提寺のある「三光寺地区」、氏神である「本三戸八幡宮地区」の三地区で構成してあり、その歴史的重要性が認められ平成十六年九月三十日に国の史跡指定を受けました。


※三戸城追手門跡

 聖寿寺館跡の北側に位置している三光寺は、当時の南部氏の菩提寺である聖寿寺、東禅寺、三光庵のうちの一つである三光庵が前身で、南部氏の盛岡移転の頃には、三光庵のみが菩提寺として残り現在に至ります。境内には南部二六代信直夫妻の墓所(南部町史跡)、南部二七代利直の霊屋(青森県重宝)、利直の四男利康の霊屋(国重文)、南部二代実光の墓所などがあります。
(サト)
出典 「重要文化財 南部利康霊屋 南部氏と三戸」P39〜P43 南部町教育委員会