南部編コラム1話 十和田神社

  • 2013.07.01 Monday
  • 13:11
  南祖坊は、熊野権現の申し子であるということで、生まれた時、名前は「熊之進」と名づけられました。このように、南祖坊と熊野信仰は、切っても切り離せないものです。この南祖坊が十和田湖における熊野信仰定着の一翼を担っていたのは間違いないと思われます。
 熊野は、修験者たちが修行する山の中の1つです。日本では古くから山を神霊の宿るところとして信仰する地域が全国各地にあります。権現とは、仏が人々を救うため、日本古来から存在する神に姿を変えて現れることです。
 一方、十和田信仰は水を竜神として祀っていました。熊野信仰と十和田信仰が違和感なく交じり合えたのは、まず、同じ自然を信仰したものであること、そして、権現というものが、もともと神仏習合のうえに成り立っているため、他の信仰に対して排他的な性格ではなかったから、と考えられます。
 ところで、南祖坊に十和田湖を追い出された大蛇、八の太郎は、その後どうなったのでしょうか。新しい住処を探していた八の太郎は、秋田県鹿角にある川の合流地点に目をつけます。この合流地点で川をせき止め、鹿角の盆地を大きな湖にして、住処にしようと考えたのです。しかし、これに驚いた鹿角の神々は、八の太郎を追い出します。追い出された八の太郎は、次の候補地、米代川のきみまち坂付近をせき止め湖にしようと考えますが、またもや、土地の神たちに拒絶されます。そして、天神様に米代川下流の男鹿半島のほうへ行くよう勧められます。八の太郎はそれに従い、ついに永住の地を見つけます。八の太郎は、そこの大地を割り、湖をつくりました。それが現在の秋田県八郎潟なのだそうです。
アラン・スミシー
参考文献
青森県の歴史散歩
十和田市史 下巻
水神竜神十和田信仰
青森県の民間信仰