南部編第1話 十和田神社

  • 2013.12.01 Sunday
  • 13:01
 
※十和田湖
   青森県十和田市の十和田湖畔休屋にひっそりと建つ十和田神社。一時は衰退していたようですが、建武元年(1334年)北畠顕家の奥州下向に従ってきた南部氏が、甲斐の国・白鳥の宮の分霊を勧請し、再興しました。津軽や秋田への戦略的要地として重要視され、藩費で維持運営を行っていたようです。南部藩では、この十和田神社と恐山を二大霊場として位置付けていました。現在は、日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀っていますが、もとは十和田山青竜権現を祀っていました。これは明治政府による神仏分離によって、神社で祀ることができるのは、日本書紀に登場する神に限定されたためです。
十和田神社の創建に関する言い伝えは2つあります。
1つは大同2年(807年)、坂上田村麻呂が東夷東征に際して、日本武尊を祭神にして創建したというものです。しかし、神仏分離によって日本武尊を祀ることになったといわれているので、この説は比較的新しいものなのかもしれません。ここでは、もう1つの説をクローズアップしていきます。

※十和田神社鳥居
平安時代、南祖坊(なんそのぼう)という僧侶がいました。彼は、熊野権現のお告げによって、諸国で修業をしていました。そのお告げとは「旅の途中、鉄の草鞋(わらじ)の緒が切れ、錫杖(しゃくじょう)が折れた場所が、あなたの永住の地になる」というものでした。そしてついに、十和田湖に差し掛かった時、草鞋の緒が切れ、錫杖が折れました。
しかし、十和田湖にはすでに八の太郎という大蛇となった主がおり、十和田湖を住処とするためには、八の太郎と戦わなければなりませんでした。十四日以上続いた戦いの末、南祖坊は、八の太郎を追い出すことに成功します。戦いが終わり、南祖坊は神仏への祈りを捧げていると、雲の上に童子が現れます。童子は「我こそは熊野山の使なり」と言い、姿を消しました。そして、松の木の上に『十和田山正一位青竜権現』の文字が映し出されたそうです。南祖坊は、湖に身を沈め、十和田湖の主になり、十和田山青竜権現として、人々からあがめられるようになりました。

※十和田神社拝殿
南祖坊は、室町中期の説話集『三国伝記』にも、「霊現堂の衆人」と記載されており、実在する人物であったようです。南祖坊が実在するのであれば、この創建伝説は、こうも解釈できないでしょうか。
八の太郎という大蛇は、元々十和田湖にあった信仰であり、南祖坊は、そこに新しく入ろうとした信仰。南祖坊の賢い点は、土着する信仰を否定しなかったことだと思います。十和田湖という器を変えることなく、主を入れ替えるという発想で、旧来ある信仰から新たな振興へと無難に移行できたのではないでしょうか。
アラン・スミシー
参考文献
青森県歴史散歩 p223~p224(山川出版社)
十和田市史 下巻 p709(十和田市)
水神竜神十和田信仰(北方新社)
青森県の民間信仰(北方新社)
十和田湖伝説 八の太郎と南祖之坊(伊吉書院)

コラム 十和田神社