南部編コラム19話 八葉山天台寺

  • 2013.07.15 Monday
  • 15:54
 岩手県二戸市浄寺町にある八葉山天台寺は、作家の今東光と瀬戸内寂聴が住職を務めたことで知られています。天台寺は、奈良時代に聖武天皇の命を受けた行基(ぎょうき)が8つの峰と8つの谷を併せ「八葉山」と名づけ、山中の桂の大木を刻み、本尊の聖観音像を祀り開山したと伝えられています。行基は奈良の僧で、人々を率いて道を直したり、橋をかけたり、溜池を築くなどの社会事業を行った徳の高い人物です。草創の正確な時期はわかってはいませんが、残された文化財から天台寺が篤い信仰に支えられ、平安時代には確実に成立していたと伝えられています。

 天台寺は桂の大木の根元から清水が湧き出ていたことから「桂水観音」「御山の観音」と一般的に呼ばれていました。。桂清水は糠部地方の霊地として、古代から国内最北の仏教文化へ発展したと考えられています。天台寺の名が初めて資料に記されるのは南北朝時代、正平18年(1363年)の銅鰐口(岩手県指定文化財)で、元中9年(1392年)と伝えられる銅鐘銘には「桂泉」の名も見られます。この頃には勢力を増してきた南部氏が天台寺を崇敬・保護するようになり、室町中期には、糠部三十三所観音順礼の第一礼所となりました。江戸時代には、萬治元年(1658年)盛岡藩主・南部重直が天台寺を再興、続いて元禄3年(1690年)、南部重信が大修理を行います。この時建築されたのが現在の本堂です。

 重要文化財とされる本堂は五間四方の大堂で、奥三間を内陣として仕切り、唐破風(からはふ)屋根のみごとな宮殿風形厨子を備えた、密教寺院の趣があります。南部氏における藩直轄の社寺造営は極めて異例の規模で、そのありさまが「天台寺古絵図」からも知ることができます。天台寺古絵図とは、江戸時代に再興された全盛期の天台寺を描いたものです。桂清水から参道を登り仁王門、本堂に至る道筋や、本堂の周りには多くのお堂が並び、当時の様子が偲ばれます。描かれている地形もきわめて正確なものとされ、制作年代はわかってはいませんが、藩の手によるものと思われます。

 天台寺に伝わる59体の仏像のうち、平安仏とみられるのは13体で、このうち本尊・聖観音立像と等身仏6体、丈六仏1体の合わせて8体が国や県の文化財に指定されています。行基作と伝えられる本尊・聖観音立像は、美しい横縞模様のノミ跡をのこして素木のまま仕上げていて、鉈彫りの最高傑作として有名です。聖観音立像は前面には美しいノミ跡を施すものの、背面は平滑に仕上げていて、前面のノミ跡は意図的に施されたものであることを示しています。天台寺の諸像には素朴で魅力的なものが多く、地方作の仏像としてきわめて古く位置づけられています。

参考文献:みちのくの霊山・桂泉観音 天台寺
芳賀