南部編コラム10話 根城の軍配

  • 2013.07.13 Saturday
  • 15:43

南部実長(なんぶさねなが)は鎌倉時代に活躍した八戸氏(根城南部氏)の祖とされる武将です。南部光信の三男で、甲州波木井(現在の山梨県身延町)の領土に居住したことから波木井実長とも呼ばれています。父・光行と同じく、鎌倉幕府に仕えていた実長は、建長5年(1253年)に鎌倉の町で辻説法をする日蓮上人に出会います。日蓮は他の宗派への攻撃ばかりでなく、幕府の政策にも厳しく批判しました。そのため日蓮は世間を騒がせる僧侶として幕府に捕えられ、佐渡ケ島へ流刑されます。

それから三年後、鎌倉に戻った日蓮に温かい手を差し伸べたのが、実長でした。実長が日蓮のために身延川のほとりに三間四面の草庵を造ります。これが日蓮宗総本山「身延山久遠寺」の最初の建物です。久遠寺の開祖となった実長も出家し、日円と号しています。晩年の日蓮は、実長の温情を受け続け、この草庵で9年間の修業の日々を過ごします。自身の死期が近づくと、実長へ最後の手紙を送り、感謝の気持ちを伝えています。

国指定の史跡・根城本丸跡に、「南無妙法蓮華経」と流れるような文字が刻まれた、大きな黒い石碑があります。この碑に描かれた七文字は、南部家の軍配(お題目の軍配)をかたどったもので、南部家と日蓮との関わりを物語るものです。軍配は昔から、根城の南部家が進軍の時に常に陣頭になびかせてきたものです。一番初めの軍配は日蓮上人が実長に授けたもので、その題目の上には菊の紋章がついていたそうです。

鎌倉幕府の権力も恐れず、体制打破をさけんだ危険人物・日蓮を擁護し、その子孫に革命的な行動を指示した実長。その子、実継は後醍醐天皇の皇子・尊良親王と共に北条政権の打倒計画に参加しています。実長から4代目の師行は、南朝方の天皇を指示し、忠誠を尽くしています。実長の貫徹した気骨精神は子孫に脈々と受け継がれています。
 
参考文献:南部地方史話 八戸藩
歴史と伝説 南部昔語
歴史と伝説 はちのへ物語
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