第10話 大浦為信、石川城攻め  〜城〜

  • 2013.08.19 Monday
  • 10:26

※青森県弘前市大仏公園前
 弘前市、石川城址。別名「大仏ヶ鼻城」と呼ばれるこの城は大浦為信が攻略した城のひとつです。この大仏ヶ鼻城を中心として、周りに13の城館があり、「石川城」というのはその総称です。石川城は、津軽の曽我宗家である平賀の曽我道性により建武元年(1334年)に築城されたといわれています。

※大仏公園には、由来などを説明する看板があります
 そこは津軽における南部氏の拠点であり、石川高信(南部高信)は郡代(守護代の支配を受けて郡単位で支配した代官)でした。津軽統一を目指していた為信が最初に攻撃したのが石川城だと言われています。
 元亀2年(1571年)春、為信は動きます。為信は石川城の近くにある自分の城(堀越城)を修復したいと高信に申し出ます。しかし、これは為信の謀略でした。修復すると見せかけて兵糧や武具を運び、大工や人夫、兵を引き入れ、戦いの準備を整えたのです。城の修復に見せかけた戦の準備が整うと為信は、堀越城修理の完了の宴を行うことを高信に伝え、高信側の家臣をもてなしました。そうして油断をさせ、その夜、わずか八十余騎の兵を率いて石川城を奇襲して落としたといわれています。城の本丸にいた高信は必死に防戦しましたが敵わず、妻子共々自害したと言われています。高信の死亡には諸説あり、天正9年(1581年)に石川城で病死したという説もあります。
 現在、石川城跡は、別名の大仏ヶ鼻の名前にちなんで、大仏公園と言う名の公園として整備され、人々に親しまれています。周辺はりんご畑となっており、春にはソメイヨシノ、初夏にはアジサイが見事な花を咲かせることでも有名です。そこが城跡であったことすら忘れられてしまいそうな、のどかな風景が広がっています。

※大仏公園のあじさい

 
参考文献
新青森市史 資料編2 古代・中世
サト

コラム 石川城